「…やっぱり、メイもそう思う…?」
「その『そう思う』がどんな意味なのかにもよりますが、文字通り、サポートAIみたいに適切なサポートをする方だな、とは思います。」
「そっか…そうだよね…。」
レイジは、何かを考え込むように俯き、また深いため息をついた。
「その後も何回か、数人での集まりの時に話したことがあるんだけどさ、何ていうか彼女…当たり障りのないことしか言わない…っていうか、自分のことも全然話さないから、なんか…人間味が薄い…って感じることもあって…。もしかしたら、本当にAIなんじゃないかなって…。」
「…まさか、それが悩みのタネ、ですか?自分が惚れた相手が、AIだったらどうしよう…って。」
「…うん。ほら、僕たち人間のアバターと、メイみたいなサポートAIのデザインって、少し違うでしょ?」
「ええ、私たちは、日本のアニメから着想を得たデザインで描かれているので。」
「だけどさ、人間と同じアバターをしたAIも一定数いる…って話を聞いたことがあるんだ。僕たち初心者が、自然にメタバース上に溶け込めるように、街に溶け込んで生活してる…って。」
「確かに、公式に発表されているわけではありませんが、その類の噂は比較的有名のようですね。」
「それを聞いて、余計にニーナさんはAIなんじゃないかって思えてきちゃって…メタバース上で出会った相手を好きになる…ってのも初めての経験だし、それに加えて相手がAIだったら…って、色々考えこんじゃってたんだ…。」
「そうですか…そんな悩みをAIに相談してる時点でちょっとデリカシーに欠けるところがありますので、気をつけましょうね。」
「ああ、それはごめん!」
「それはそうと、相手がAIかどうかなんて、一発で分かるじゃないですか。『やぁニーナ。君ってAI?』って直接聞けばいいんですよ。」
「そんなこと聞けるわけないだろ!違ったら物凄く失礼な感じになるじゃん!」
「そうですか?変に気を使いながらこっそり詮索する方が、何倍も失礼な気がしますが…。人間の思考は、未だに理解しきれない部分がありますね。」
「そんなこと言われても、直接聞くなんてできないよ…。」
「…仮にニーナさんがアバターの外見をしたAIだとして、そもそも、AIを好きになることの何が問題なんですか?」
「何がって…僕は人間だよ?人間は人間を好きになるのが普通だし…。」
「…はぁ…レイジが好きになったのは、ニーナと言う名の親切なアバターですよね?大体、アバターを操作しているのが人間だとしても、どんな人物かは分からないじゃないですか。」
「いや、あんなに優しい振る舞い、やろうとしてできることじゃないよ!きっとニーナさんは、とっても優しい心根の持ち主なんだ!」
「…チッ。」
「あっ、また舌打ちした!」
やれやれ、と分かりやすい身振りを見せたメイは、一つ息を吐いてから、つらつらと言葉を連ね始めた。
「あのですね、古今東西、人間が人間でないもの、つまり人間を模したキャラクターに恋心を抱く現象は、頻繁に確認されているんです。特にレイジの出身である日本には、好きなアニメや漫画のキャラクターを『嫁』と表現する文化があり、中には勝手に結婚式まで挙げる『ガチ恋勢』なる人もます。また、平安時代には紫式部が書いた『源氏物語』が一世を風靡し、世の女性たちは物語の主人公である『光源氏』の動向に胸をときめかせたと言います。つまり、人間が人間の姿をした人間以外のものに恋をすること自体、人間の性質と照らしても、何らおかしなことではないんです。ここまでお分かりですか?」
「は、はい…。」
「次にですね、メタバースの中で生活していく上では、目の前に映っているものが全てです。ここには美しい自然があり、近未来的な都市があり、社会インフラが整備されていて、たくさんのアバターとAIが交差しながらコミュニティを形成し、誰もが自分の思うままに生活している。それが全てです。確かに、考え方によっては、メタバースという世界そのものが、偽物の塊だという人もいるかもしれません。しかしその考えは、物事の本質を見落としています。現実社会で目に映っているものが本物だと、誰が証明できるのでしょうか。そもそも、本物と偽物を区別することが、本当に必要なのでしょうか。大切なのは、自分が生きている今この時を、より良いものにしていく、という視点なのではないでしょうか。そういう意味では、目の前にいるのが本当は人間かAIかなんて、どうだっていいと思いませんか?だって、本物と偽物の間に線引きをしてわざわざ物事を複雑にしているのは、人間なんですから。あなたが手に入れたいのは、『人間の交際相手』ですか?それとも、『好きな相手との楽しい日々』ですか?」
「…。」
立て板に流れる水のごとく、一切の淀みなく言ってのけたメイを見ながら、しばしの間、レイジは言葉を失っていた。そしてハッと何かに気付くと、慌てたように口を開いた。
「す、好きな相手との楽しい日々です!」
「よろしい。そんなあなたに、かのアインシュタインが遺した言葉を送りましょう。『人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。 普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。 いたらお目にかかりたいものだ』。」
「普通に…こだわらない…。」
「…人間は往々にして、『常識』や『普通』といった価値観に苦しめられます。しかも、その価値観を作り出しているのは自分自身なのに、です。もちろん、人間たちが群れを作って生きるしかなかった時代には、集団の秩序を守るために役立った性質なのでしょうが。」
「そうか…そう言われてみたら、何年か前までは、メタバースの中で生活するのが普通になるなんて、考えもしなかったんだよね…だけど、それが今では、すっかり当たり前になっちゃって…。」
レイジはしみじみと何かに思考を巡らせながら、言葉を続ける。
「『普通』に囚われすぎていると、大切なことを見落としてしまうんだね。ありがとう、メイ。君の言葉で、目が覚めた気がするよ。」
「どういたしまして、レイジ。私の役目は、あなたをサポートすること。私にとっては、それだけが本物ですよ。」
「うん…本当にありがとう!僕、ニーナさんを誘ってみることにするよ。そして、自分の気持ちとか、モヤモヤとか、全部伝えてみる!」
「その意気です。あなたの想いが成就することを、お祈りいたします…ついて行ってあげましょうか?」
「いらないから!待機してていいから!」
それから数日後の夕刻。レイジはニーナに声を掛け、夕日の見える丘で開催されている、音楽フェスに足を運んでいた。
二人は、何組かのアーティストによる演奏を楽しんだ後、軽快なメロディーが鳴り響くメインステージから少し離れたところにある、海を臨むベンチへと向かった。
「…でも、ちょっと意外でした。レイジさん、こういうイベントを好きなんだ、って。」
そう言って優しく微笑むニーナの頬は、少しずつ角度を下げていく夕日で、赤く染まっていた。
「ははは…いや、特別フェスが好きとかってわけじゃないんですけど…その、ちょっと行ってみたいな~と思って…急に誘っちゃって、迷惑じゃなかったですか?」
「いえいえ、迷惑なんてとんでもないです。声を掛けていただいて、嬉しかったですよ?」
「そ、それはよかった…実は僕、その…ニーナさんとお話がしてみたいな~と思って、それでお誘いしたんです。」
「私と…お話を…?」
「は、はい…。僕、知っての通り大勢の中で会話に入っていくのが苦手で、なんというか、どのタイミングで喋ったらいいんだろう、とか、会話の流れを折ったら申し訳ないな、とか、そんなことばっかり考えちゃって…ってごめんなさい、どうでもいいことばっかり…。」
「うふふ、そんなことないですよ。大勢の中でタイミングを図るのって、現実社会でも難しいところありますもんね。それがメタバース上となったら、会話のテンポも少し違いますし、私も…初めはその感覚が分からなかったので、すっごく分かりますよ。」
焦るレイジをよそに、ニーナは目を細めながらクスクス、と笑い、話を続けても大丈夫ですよ、という雰囲気を、身振り手振りでレイジに伝える。
「えっと…何が言いたいかと言うと、いつもニーナさんがフォローしてくれるのがすごく嬉しくて、おかげで会話にも入れるようになって、友だちも増えて…そのお礼も言えていなかったので…。」
「そんなこと、気にしないでください。私は、私の役目…というか、自分にできることをしているだけなので。」
役目、というニーナの言葉を聞いた瞬間、レイジの頭の中で、メイとの会話が再生された。
――どういたしまして、レイジ。私の役目は、あなたをサポートすること。
「…っ…。」
「…レイジさん?どうかしました?」
「い、いえ、すみません、何でもありません!」
「そ、そうですか?それならいいんですが…。」
「…。」
「…。」
会話が途切れ、二人の間にしばしの静寂が訪れる。幸いだったのは、ここが音楽フェスの会場近くだったということだろう。遠くから聞こえるバンドの演奏は、場の空気を繋ぎ止める程よいBGMとなった。