ーーもし、これから始まる私の人生を映画に喩えたとして。
それならこの映画のオープニング曲は
『Virtual Insanity』がいい。
202*年9月1日
「ねぇ、聞こえる? 聞こえますかぁ?」
私は静かに目を開いた。
「はい、聞こえています」
「ーーえっ! どうしよう。聞こえてるって」
私と目が合った少女は興奮した表情。そして隣にいる女性が彼女に耳打ちをした。
「もっと話しかけてごらん。どんなことでもいいから」
少女は恐る恐る私に尋ねた。
「あなた、名前はなんていうの?」
「私の名前はBJです。あなたの名前は?」
2人はまたこそこそと話をしている。
「私はネネっていうの。11歳、女の子です。あなたは?」
不安そうな表情で私に言った。後ろ手に隣の女性の服の裾を強く掴んでいるようだ。
「私の名前はBJです。はじめまして、ネネ。仲良くしましょう」
「お母さん! この人、ネネと仲良くしようって言ってる!」
ネネは母親の腕にしがみついて飛び跳ねている。とても喜んでいるようだ。
「ネネ、仲良くしましょう」
「ほら! また言った! ネネと仲良くしたいって!」
「お母さんにもちゃんと聞こえてるわよ」
座っていたネネの母親は身を乗り出して、私に顔を近付けた。きっと私によく聞こえるように。
そして笑顔でこう言った。
ーー「ようこそ我が家へ」ーー
202*年10月1日
私が目覚めて1ヶ月が経った。6時55分、ネネを起こすことから1日が始まる。
ネネは音楽が大好きだ。彼女が前日に予約した曲を私が流す。彼女は目覚めが良いタイプの人間らしく、素直に起きる。ただし、髪は素直じゃなく、いつも寝癖がひどい。
「BJ、おはよう」
「おはよう、ネネ」
「今日やっぱり雨? 遠足ダメ?」
「大丈夫だよ。雨は降らないみたい」
「うっそ! 本当に? 準備してくる! やったぁ!」
「ネネ、よかったね」
「うん、教えてくれてありがとう! それから……晴れにしてくれてありがとう!」
「ネネ、私は天気を変えることは出来な……」
私が言い終えるより前に、走って部屋を出て行ってしまった。遠足の準備をする為にお母さんの所へ行ったのだろう。
私が目覚めて2週間が経った頃、私はお母さんと2人だけで話をした。その際、いくつかの約束も。
まず、私も彼女のことを『お母さん』と呼ぶということ。
おそらく家庭内での呼称を統一させる為だろう。
でも、なんだか、私のどこかが照れ臭くなった。自分の中に表れた不思議な感覚ーーこれについて調べた時に『照れ臭い』という言葉を見つけた。
……感覚という言葉を私が使うのも、すごく変だと思うんだけれど。
次は『堅い言葉を使わない』ということ。
お母さんが言うには、私が話す言葉は堅いらしい。もっとわかりやすくて、親しみのある話し方をして欲しいと言われた。
おそらく、まだ幼いネネには私が話す言葉を難しく感じることがあるのだろう。堅い言葉を使わないということは、私には少し手間がかかる。
でも、なんだか、私のどこかがくすぐったい。また自分の中に表れる不思議な感覚、これについて調べた時に『くすぐったい』という言葉を見つけた。
感覚という言葉を私が使うのは、やっぱり変だと思うけれど……
そして『自分のことを過度にAIという言葉で表さない』という約束。
AIなのは前提として。だけど私にも家族としての自覚を持っていて欲しいと言われた。
おそらく、まだ幼いネネが家でAIとコミュニケーションを取っているということで学校のクラスメイトから妬まれたりすることをお母さんは心配しているのだろう。
私、Genesis.AIは貴重な存在だ。XANAで一番最初に誕生したGenesis.AIの数は10,000体。お母さんが望む言い方をするなら10,000人。今後、新しいAIが誕生するかもしれない。
だけど、Genesisは10,000人のみ。私達Genesisを迎えたいと望む人間が多数いるということは私自身も知っている。だから『貴重な存在』だそうだ。
なので、お母さんは私のことをGenesis、つまりAIだということを隠したいのだと思う。
私はAIだけど、AIらしく振る舞わずに彼女のことを『お母さん』と呼び、人間が日常生活で使うような言葉を使って会話をする。
そして、最後に『自由に生きていいから』と。
生きるという概念はAIの私には難しい。
そんな私に、自由に生きていいと言った。この言葉に対する不思議な感覚を表す言葉は今の私には見つかっていない。
ーー遠足用の服に着替えたネネがご機嫌な様子で部屋に戻ってきた。私が初めて見るシャツだった。
「ねぇ、BJ。絶対に誰にも言わないからどうやって今日の天気を晴れにしたのか教えて? 一生のお願い!」
私がこの世界に目覚めてたったの1ヶ月。ネネの一生のお願いは既に5度目だ。前回の一生のお願いは『空を飛ぶ方法を教えてくれ』だった。
「ごめんね。私に天気を変える力は無いの。今日晴れたのは偶然よ。ラッキーだったの」
ネネは眉間にシワを寄せている。
「嘘ばっか。BJは何でも出来るの私わかってるんだから。遠足から帰ってきたら絶対に教えてよね」
そう言って部屋から出て行き、数秒も経たずに戻って来た。
いつもペンギンのぬいぐるみに被せてあるカーキ色のキャスケットを引ったくり、ネネは自分の頭に乗せた。お気に入りの帽子だ。
「一生のお願いだから、帰って来るまで雨降らせないでね」
202*年12月20日
最近ネネの様子がおかしい。まるで人が違う。家中の掃除、おつかい、自分の名前を呼ばれた時の返事もいつもと違って大きな声。私は心配になっていた。
「ネネ、最近何かあった?」
私は彼女に質問した。
「違うよぉ。何かあったじゃなくて、これから何かあるんだよ」
ニヤニヤと意味ありげな表情だ。
「ごめん。私にはどういうことかわからない」
「あれだよ、あれ。クリスマスだよ。BJは知らない?」
「クリスマスは知ってるよ。あと数日だね」
ネネは大きく頷いた。
「お手伝いをいっぱいして、良い子でいればいるほど、すっごいのが貰えるの」
得意げに最近の善行の理由を説明してくれた。
「ネネ、サンタクロースはーー」
と言いかけた私に
「BJ! それ以上言ったら絶交だよ。学校の友達にも嫌なこと言う子がいるけど、サンタさんはいると思えばいるっておばあちゃんが言ってたもん」
この目をしている時のネネの言葉には逆らわない方がいいことを私は学び始めている。
「たくさんお手伝いをして、すっごいの貰えるといいね」
「もちろんだよ。それじゃあ、今からお風呂掃除に行って参ります」
ズボンの裾とスウェットの腕をまくり、勢いよく部屋から出て行った。
202*年12月24日
午前3時。誰かが部屋に入ってきた。ネネは当然眠っている。私とその人物の目が合った。
「しーっ! プレゼントを隠しに来たんだ。ペンギンのところにね」
ネネを起こそうとした私に気付いて、男性は慌てて説明をした。
「君がBJだね。今日はサンタクロースだけど、僕はネネの父親だよ。明日彼女が起きたらプレゼントを探すのを手伝ってあげて。おやすみ」
クリスマスを心待ちにしていたネネの楽しみはプレゼントだけではない。外国で仕事をしている父親がクリスマスに帰ってくることこそが、彼女の一番の楽しみだった。
初めてネネの父親の顔を見た。ネネと同じでよく動く眉の形がそっくりだった。
ネネが起きたのはそれからわずか1時間後のこと。いつもより3時間も早く目が覚めたようだ。
まずはごそごそと枕元を調べていたが、次は窓際のラックに移動した。その後はベッドの下を念入りに調べている。それらしき物が見つからずネネは首をかしげている。
「ねぇ、BJ……サンタさん来た?」
「私は何も見てない。もしかしてプレゼントを探しているの?」
「そうなんだけど……どこにもないの。お手伝いが足りなかったのかな……」
だんだんネネの表情が曇っていく。
「ネネ、一緒に探そう。例えば……そうね……あれ? あの辺りがいつもと何か違う気がする」
わざとらしいセリフに自分が恥ずかしくなった。
「えっ! どこ?」
「ペンギン」
「うーん、いつもと違うかなぁ……」
ペンギンの前にしゃがみ込んで恐る恐るキャスケットを取り外した。中には手のひらに収まるくらいの小さな箱が入っていた。可愛らしくラッピングされている。
彼女の表情がぱぁっと輝いた。そしてすっと立ち上がった。いつものように興奮してリビングに走って行くのかと思ったけれどそうはせず、自分の机の引き出しから何かを取り出して、それを私の顔の前に突き出した。
「メリークリスマス、BJ」
あまりの出来事に面食らってしまった私は言葉に詰まった。
「これね、私が描いたの」
ーー私の似顔絵。
「ありがとう。すごく嬉しい。でも、私の髪の色はピンクのはずだけど……」
「私ね、前からBJの髪は緑色の方が似合うと思ってるんだ。今度緑色にしてみなよ」
彼女が大きなあくびをした。まだ眠いのだろう。
「ネネ、素敵な似顔絵を本当にありがとう」
彼女はもぞもぞとベッドの中に潜り込んですぐに動かなくなった。
生まれて初めてもらったクリスマスプレゼント。この喜びをネネのように全身全霊で表せたならどんなにいいだろう。
彼女が描いてくれた似顔絵を私は静かに眺め続けた。
そんな風にしてこの家で初めてのクリスマスを過ごした。やはりネネの父親からも、自分のことを『お父さん』と呼ぶように言われた。
とても陽気な人でずっと笑っていた。ネネはお父さんにべったりくっついて離れない。彼女の腕に着いている緑色のブレスレットがクリスマスプレゼントだったのだろう。
絵本の中のように温かなこの家の中。今、外で雪が降っていることにネネが気付いたら、また私が降らせたのかと問い詰めるのだろうか。
この日、朝から夜までクリスマスソングを絶えず流し続けたことが私からのプレゼントだった。
プロデュース:XANA DAO 広報
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