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僕とメタバース

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《はじめまして、XANAの世界へようこそ》

振り向くと、すらりとしたヘヴンがこちらをみてにこりと微笑む。ヘヴンの実際の姿をみて、ほんの少し嬉しい気持ちになる。僕はしばらく彼女を見つめていたけれど、彼女は何も言わなかった。僕の言葉を急かしたり、奪ったりすることもなかった。僕は、画面を見ながら自分のこの世界の見た目をコーディネートしていく。服を着替えるように、好きな顔のパーツを選んで、なりたい自分になる。僕は現実ではできそうにない金髪にして、それから青いジャケットを羽織った。この世界はみんな派手だから、自分が少し派手な服を着たって、だれも気にしたりしない。そんな感じだった。

せっかくきたのだから、何かをしなければもったいないと僕は立ち上がった。けれど、頭上に上がる花火に気がつけば視線がいっている。

「まあ……いいか……まだ時間あるし……」

時刻はまだ三時過ぎ。朝までは随分と遠いし、朝になってもなんてったって今日は休みだ。目の前に広がるのは狭い片付かないワンルームではなくて、視界いっぱいの花火。焦って何か行動する必要もない。時間はたっぷりある、ゆっくり考えればいいのだ。

僕は近くのベンチに座って、夜空を見上げる。落ちてきそうなくらいに鮮やかな花火の色。世界はこんなにも極彩色なのだ。

「——花火、綺麗ですね」

僕は花火に夢中になっていて、近くに人が座っていることに気がつかなかった。その涼やかな声はどこかで聞いたことのある懐かしい声だと僕は思った。

「え、あ……そうですよね。すごく綺麗で……」

彼の顔を見たときに、僕はもっと驚いた。だって、そこに立っていたのは先程夢で見た彼だったからだ。真白いふわふわの白のカッターシャツに、白いパンツ。おしゃれにパーマが当てられた長い黒髪の毛がゆらゆらとゆれる。鈴が鳴るような軽くて甘い声。それはまぎれもなく、あの夢の中の彼だった。

「どうしました?」

「あ……すいません……えっと、知り合いにすごく似ていたから、びっくりしちゃって……」

僕は取り繕うように笑う。へらへら笑うのが癖になっていた、何にもおかしくなくても嫌なことをされても気にしないふりをした。とにかく笑ってやり過ごした、その方がうまくいくような気がして。

「知り合いに……? そうなんですね、いつか会ってみたいなぁ」

「あー……僕も会ってみたいんですけど、きっともう会えないんじゃないかなぁ」

だって、夢の中で出会った人だから。そんなことをいうと笑われてしまう気がして口をつぐむ。彼の方をみると、僕の隣に座って花火を見つめていた。ぱちぱちとはじける花火の音が耳元のすぐそばで聞こえる気がする。絵の具で綺麗に塗られた空、みたことのない大きな花火。彼がずっと花火を見つめているから、僕も花火をじっと見つめる。黙って、何も言わないで、ふたりで。居心地のいい空間。もう無理に会話しようとしたり、しなくてもいい。そう思うと気が楽だった。

「ねえ、他のところにも行ってみません? プールとか……」

花火が終わると時刻は五時を過ぎていた。彼は僕の顔をのぞきこみながら笑ってそういった。

「プールですか……? 僕、泳げないかも……」

「泳げますよ、なりたい自分になれるんだから。ここなら、どんなことだってできますよ。げんにきみは今、きみのなりたい姿になっているんでしょう?」

「たしかに……」

「それじゃ、いきましょう」

くいくいと手を引かれるままに、僕はプールに向かっていた。きらきらと泡のはじける音がする。泡が水面に向かって浮き上がっていく。僕は水着をコーディネートしながら、先に走っていって水の中に飛び込む勇敢な彼を眺めていた。

肌に当たる水の感触はなくても、そこはたしかにプールだった。この世界にはたくさんの街と、自然にあふれていた。僕の知らない世界を彼は楽しそうに教えてくれて、僕もそんな彼の隣でこの世界の煌めきと彼の笑顔を見つめていた。

「ね、泳げたでしょう?」

首をかしげるように僕に問う彼。僕はこくりと頷く。

「たしかに、泳げましたね。思ったより、簡単だった」

「ほら、そんなに怖くなかったでしょう?」

「そうですね、最初だけでした。飛び込んでみたら、大したことなかった」

「ふふ、それはよかった」

「よかった」

「あの」

「はい」

「もしよかったら、俺たち友達になりませんか? 俺、東京に住んでるんですけど」

「あ、僕もです。東京です」

「うん、なんかそんな気がしました。もう現実で出会ってるような気がする」

くしゃりと笑う彼。やわらかくて、自然な笑顔。多分、現実の世界でもそんな風に笑う人なのだろうなと思う。同じ男だったらきっと、僕は友達にはなれないタイプだっただろう。僕は彼に対してそんなことを考えていた。彼の優しい視線で胸がキリキリするのはなぜだろう。今まで、そういうものを向けられたことがなかった。友達もできた試しがなかった、そんな僕にこんな奇跡あっていいんだろうか。

「あの、ダメですか……?」

「だ、だめじゃないです。嬉しいです、でも僕きっと、いつか……」

あなたを怒らせてしまうような気がする。失望させてしまう気がする。

僕はそう言おうとして口をつぐんだ。それ以上言葉にするのはあまりにもみっともなくて、僕はそのまま俯いてしまった。知っている、自分の容姿や言葉に向けられた呆れや嘲笑いを。それらはもう、僕の脳みその深い部分に刻み込まれていてはらうことはできないのだということも。

「大丈夫ですよ、きっと。この世界なら、きみは素敵だと思います」

僕の肩をぱしりと彼が優しく叩きながら、そういった。

それから、僕たちは定期的に仮想世界で顔を合わせるようになった。仕事は相変わらずブラックで忙しかったけれど、合間を縫って世界に飛び込んではたった数分でも彼を探した。時折、彼以外の友達もこの世界でできるようになった。甘いジュースみたいなお酒を飲んで、ダンスをしたり。カードゲームもした。彼のすすめで女の子とお話をすることもあった。やっぱり慣れなくて緊張してしまったけど、でも誰も笑ったり舌打ちをしたりする人はいなかった。新しくできることが増えていく。僕の世界がゆっくり広がっていく感覚。それはとても幸福で心地の良いものだった。でも、彼との時間は唯一無二だった。ただ、彼もどちらかというと夜に仕事をしているらしく、うまく時間を合わせるのは大変だった。連絡を取り合いながら彼と過ごす時間は僕にとってたった一つの生きている理由のようにも思えてくるようになった。たった一人のこの世界の友達、僕を認めてくれる人。理解してくれる人。そのままでもいいといってくれる人。それが彼だった。

「ねえ、何を考えているの……?」

神社の鳥居をくぐったもう少し奥の木陰で夕日を眺めながら、彼はそういった。彼のきらきらと光る瞳が夕日に照らされてオレンジ色に染まっていた。僕はしばらく、その目を見つめていた。

「なんでもないよ、ただ考え事をしていただけ……」

「ふうん」

「ふふ、なんか変かな」

「全然、きみは変じゃないよ、少しも」

「そっか」

「そうだよ」

彼といると時々泣きたくなるのはなぜだろう。僕はこみ上げる何かをぐっとこらえながら、視線を夕日に向けた。手に持っているグラスの中の氷がからりと涼しい音を立てながら転がっている。

「ねえ、きみのこと、聞いてもいい?」

「僕のこと?」

「現実でどんな風に生きてるかとかさ、知りたいんだよ。きみのこと……」

僕は彼の屈託のない笑顔に言葉を詰まらせた。彼にはいろいろな自分を晒してきたつもりだ。この世界でも自分はたくさんのミスをしたし、できないこともたくさんあった。でもそんな自分を受けていれくれた。彼は否定などしてこなかった。でも——本当の自分。現実の自分。それらは、あえてこの世界に持ち込まないようにしていた。誰にも知られたくない自分だったから。

「あぁ……、えっと……」

僕が俯いて彼の顔を見れないでいると彼が僕の方に顔を覗かせる。そして、彼はくすっと笑った。

「俺にも秘密はあるよ、教えてあげようか」

「え、いや……」

「古いクマのキャラクターが好きなの、好きというかオタクというか……家にいったらすっごいたくさんある」

「へえ……クマ……」

「そう、めちゃくちゃかわいいの」

「いいね、好きなのがあるっていうのは」

僕がそういうと彼はポカンとした顔でこちらをみつめて、それからげらげらと笑った。そして、しばらく笑った後息苦しそうにひいひいと呼吸をしながら、まじまじと視線を向ける。

「ね、まじでさ今度さ会ってみない? 現実世界で」

どっと嫌な汗をかいている自分がいることに気づいた。なんて返事をしようかと考えている間に現実の彼を呼ぶアラームが鳴って、彼は慌てたように立ち上がった。

「あっ、それじゃあもういかなくちゃ。明日、休みだっていってたよね。それじゃあ、明日の夜二十時ハチ公前はどう? 俺、今と同じ格好でいくからさ。絶対声かけてよ!」

彼は白シャツと白のパンツをぽんぽんと叩いて見せながら、こちらをみて笑った。

「ちょっと、まって……!」

彼は去っていってしまって、彼を呼び止めようと伸ばした僕の右手だけが空中をむなしくかいただけだった。

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