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帰るべき場所

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ナギサ:この棚、ここに置いていいかな?

うん。私はあまりこだわりが無いから、ナギサの好きにレイアウトしてくれると嬉しいな。

楽しそうに悩むナギサを見て、私は幸せを噛み締めていた。あの後、両親公認だったこともあり、結婚の挨拶や顔合わせはスムーズに進んだ。そして、私の強い希望もあり、式の前に新居を買い、念願の同棲を開始した。
欲も休暇も少なかった私は、養成学校の頃から給料を貯め込んでいたのだ。

管理人は、志せばなれるものでは無い。文武両道、温厚篤実、肉体の無病息災、あらゆる項目をクリアして初めて養成学校からスカウトされる。そして三年をかけて約半分の生徒がふるいにかけられ、ようやく管理人として職に就けるのだ。

これだけの能力が求められる上に、他言無用、事実上の自己都合退職禁止など制約の多い職業だが、その分とても給料がいい。勤務して一年目の私が、一等地を一括購入出来るくらいには稼ぐことができる。

ナギサ:仕事部屋は、自分でやる?ロックかかってるけど…

ごめん、そこは自分でやるよ。ありがとう。

私は焦って返事を返した。椅子がぽつんと置いてあるだけの窓ひとつない部屋なんて、きっと、ナギサが想像する仕事部屋とは、全く違う。


オーダーメイドで建てたこの家は、XANAのシステムで後からいくらでも変更は効く。その中で、私の仕事部屋だけは変更できないよう設定の上、二重扉を設置、完全に防音をし、窓を無くし、ソフィアしかロック解除出来ないようにしてある。こんな事をしているのに、ナギサが何も聞かずにいてくれるのが本当にありがたかった。

ソフィア:あの~…幸せそうなところ忍びないんだけど…そろそろ時間ですよ~。

見た事ないくらいニタニタしたソフィアがこちらを見ている。私は目で嗜めながら、ナギサに声をかける。

仕事の時間みたいだ。申し訳ないけど、この前伝えた通り、ロックかけて部屋にこもるね。勤務が終わるまで出てこないけど…いつものことだから、安心して。何かあったら、ソフィアがちゃんと見ててくれるから…その…

分かっていた事とはいえ、歯切れが悪くなってしまう。やはり、大切な人に隠し事をしなければならないのは心が痛い。
ナギサは、片付けを中断して、トコトコとこちらにやってきた。そして、私を思い切り抱きしめてくれる。

ナギサ:うん。いってらっしゃい。

いってきます。

そう言って、私はすぐに仕事部屋に入り、ロックをした。素っ気無かったか、とも思ったが、初めての「いってきます」で涙は見せたくなかった。

ソフィア:ワークモード起動。管理人No.3709 XANA共通時間 PM3:00より、肉体へ意識が移行します。安全な場所にて、待機してください。移行まで残り3分です。

持て余してしまっていたこの時間も、プロポーズ前からパッと色づいた。アバターのコーディネートや、プロポーズのセリフを考え、成功した後はご両親への挨拶を唸りながら考え、どの土地に家を建てたものかとワクワクして…。次は、夫婦になって初めてのデートでどこに行こうか、と考えている間に、一瞬で時間が経ってしまう。

ソフィア:肉体への意識の移行が完了しました。健康状態の診断を開始します。横になったまま、動かないでください。

業務開始して1分も経っていないのに、私はナギサが待つ家に早く買えることしか考えていなかった。健康診断、着替えを、自己ベストの速さでこなしていく。

ソフィア:本日の業務は、Gコンテナ 第11区画 107名の基礎業務です。XANA共通時間 PM10:00に、KコンテナからGコンテナへ1名の移動を予定しています。

そこまで言うと、ソフィアは、私にしか聞こえないところまで声量を落とし、続きを話す。私は思わず持っていた白衣を床に落としてしまった。

ソフィア:管理人No.3709の婚姻に伴う移動です。

ナギサが来るってこと!?と言いかけて慌てて口を閉じる。他の管理人もいる中で、個人情報を漏らすわけにはいかない。この場合、ナギサが被害に遭う可能性が高いから尚更だ。

咳払いをし、とりあえずソフィアをノーマルモードに戻す。人が居ないところまで我慢できず、目で疑問をぶつける。ソフィアは、満面の笑顔でウインクを返してくれた。

それから私は、天にも登るような気持ちで業務をこなした。学生時代に努力した自分に、これだけ感謝することも無いだろうというくらい、この職に就いたことを喜んでいた。婚姻をすれば、夫婦の肉体が同じコンテナで、隣同士の場所に配置されるのは知識として知っていた。しかし忙しさと幸せで頭からすっかり抜け落ちていたのだ。

これから私は、ナギサの「いってらっしゃい」で出勤して、LIVで目を覚ました時には隣のボックスにナギサが居て、帰ってもナギサに「おかえりなさい」と言ってもらえる…文字通り好きな人と四六時中一緒に居られるのでは…!!

と、人に言ったら引かれそうな位、舞い上がっていた。

張り切りすぎて、基礎業務が早く終わってしまい、ナギサが来るまで30分暇を持て余していた。落ち着きなく歩き回る私を心配したのか、不審に思われないためか、ソフィアに個室の休憩部屋へ突っ込まれた。

XANAでは「顔の良し悪し」という概念はもう無い。ファッションの一部であり、いつでも自由に変えられるものだからだ。実際、生まれた時からXANAで過ごしている私には、昔の顔の基準である「美人」とか「不細工」という認識が出来ない。実際、業務をしていても、本当にみんな顔が違うんだな、程度にしか思わない。

しかし、愛する人の唯一無二の顔を見られるこの機会に、心躍らないわけが無かった。休憩室の鏡を覗き込んだり、立ったり座ったり、新年でも無いのに時計の秒数を一緒になって数えて、今か今かと待っていた。

ソフィア:ボックスの搬入口に着いたって連絡が…

ソフィアが言い終わるのを聞かずに、休憩室から飛び出した。LIVの中をこんなに走ることは後にも先にも無いだろうと言うくらい、全力で走った。

搬入してきた他コンテナの管理人に驚かれつつ、無事ボックスを引き取った。はやる気持ちを抑え込み、丁寧に自分のボックスの隣へ運ぶ。

走ったせいか、緊張か、期待か、バクバクと鳴る心臓に、深呼吸をして酸素を届ける。
そして私は、ボックスを開いた。

ソフィア:モーションの確認完了。異常ありません。明日の勤務はお休みです。お疲れ様でした。

私は、仕事部屋の隅でへたり込んでいた。
涙が次から次へと溢れ、止まらなかった。
あんなに楽しみにしていたナギサの顔も、何も見れなかった。

ナギサには、腕が無かった。

一緒にゲームをして、手を繋いで、私の頭を撫でて、何度も抱きしめてくれた、あの腕が無いのだ。
私は、声も出せず、ただただナギサの肉体を抱きしめていた。業務としてやるべき事は、最大限ソフィアが代わってくれ、私しか出来ない部分はソフィアの指示通り、操り人形のようになんとか体を動かした。

知識として、また業務として、肉体に何かしらの欠損が出る事は分かっていた。実際向き合って業務に当たった事もある。
しかし、これからLIVに行く度、隣にいるナギサには腕が無いと思うと、どうしていいのか分からなかった。

項垂れて動かない私に、ソフィアが優しく声をかけてきた。

ソフィア:ナギサさん、心配してるって。さっきマリンから連絡きたよ。もう勤務終了から一時間経ってるよ。

こんな顔で会えない…会ったら私は…

ソフィア:でも、会わないわけにはいかないでしょ?結婚して、同じ家に住んでるんだから。このままだと、ナギサさんも心配で泣いちゃうよ。

その言葉に、私はズルズルと重い体を引きずって扉へと向かった。扉が開くと、ナギサが走ってやってきた。

ナギサ:おかえりなさい。…どうしたの?

ボロボロに泣いている私を見て、ナギサが頭を撫でてくれる。その感触に、私の涙はさらに溢れた。

ナギサ:えっ、ごめん。今触られるの嫌だった…?

引っ込めようとした腕をこちらへ引いて、思い切りナギサを抱きしめた。ナギサは何も言わずに背中に腕を回して、トントンと、子供をあやすように叩いてくれた。

そうだ、ナギサはここにいる。私が好きになったのは、XANAで一緒に過ごしてきたナギサだ。LIVなんて…あんな悲しみを生む場所、知らなくていい。

XANAこそ、私が還る場所なのだから。

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