《オブロ開発会社の第二研究棟》
マイク付きの片耳ヘッドセットを装着したユニオンAR部隊は、オブロ開発会社の第二研究棟に向かった。
塀越しに中を覗く。
塀といっても簡素な塀で、建物を囲んでいるだけのものだった。
門もなく、その気になれば誰でも敷地内に入れる。
しかし、建物自体には扉も窓もなかった。
「ねーねー、全部コンクリのあの建物、入り口も窓もないんだけれど、これどうやって入るの?」
リアムンさんが塀に囲われた五階建ての建物を見て言った。
「ARグラスかければ分かりますよ」
オーブン警備隊長が言うと、全員がARグラスをかけ始める。
「あっ、もちろんスマホのアプリは起動して、接続してくださいね」
ARグラスのレンズは黒いタイプなので、夜間に外を歩くときは見えにくい。
建物の周りに街灯がなければ、ほぼ真っ暗だ。
「おおーっ、玄関みたいのがある!」
「ARグラスでしか見えない玄関ですね」
「玄関に立っているのはAI?」
「たぶんそうですが、人が操作しているアバターの可能性もあります」
「そうなんだ。まあ、どっちにしてもデジタルなら捕まることはないよね?」
「物理的に捕まることはないですね。ただ攻撃されると、ARグラスが三分ほど機能停止します」
「リアムン隊長……ジャッキーさんが話してた時、聞いてなかったシメジか……」
「あはっ、聞いてた気もするけど、忘れちゃった」
「もう、隊長ったら――じゃあ、ヘッドショットならぬ、アイショット受けたらダメってのも聞いてなかったシメジ?」
「トリシメたん、それ私に聞く? もちろんだよ!」
「それ胸張って言うことじゃないシメジ……」
「で、それなあに?」
「ARグラスに被弾すると、そのグラスでは、ここのAR画像が見えなくなるシメジ」
「そっか、FPSでいうと死亡ってことね」
「まあ、そういうことシメジ」
「らじゃ! トリシメたん。私を護ってね。うっふん~」
リアムンさんは頬に両手を添え、内股になってアピールした。
「……隊長」
「ここから狙撃します」
オーブン警備隊長がAR銃を構えた。
拳銃にサイレンサーを付けたような形状だが、発射されるのはデジタル信号だけだ。
照準を合わせ、引き金を引く。
――カチャ。
小さなスイッチ音しか聞こえないが、警備員の姿が一瞬で消えた。
「わっ、簡単すぎる。私でもできそう」
「簡単ですね、でも外したら反撃されるので一発で当ててくださいね」
「撃たれたら、痛いの?」
リアムンさんが首をすくめる。
「ARグラスとAR銃が振動するだけで痛くないですよ。ジャッキーさんとテストワールドで試してみたので平気です」
「そっか、じゃあいいや」
「では行きますよ。監視カメラで撮られますが、カメラは気にしないでいいです」
「えっ、いいの?」
「はい。公になれば、彼らのやったことがバレますし、どっちにしろ侵入すれば見つかるので」
「そっか、じゃあ堂々とやれるのね」
「堂々とすることじゃないですけどね。では、第一班が先に行って玄関開けるので、合図したら来てくださいね」
「らじゃ~、オーブンたん」
第一班のオーブン警備隊長を先頭に、モネさん、マコさんが玄関までダッシュする。
玄関の脇に見えるパネルのスイッチを押す。
ARグラスでしか見えないので、特別なロックはかかっていないようだ。
オーブン警備隊長は扉を開け、リアムンさんに合図する。
「きのこ隊レッツゴー、私に続け~」
リアムンさんの後に、マッシュルームさん、トリシメジさんが続く。
「俺たち、いつからきのこ隊になったシメジ?」
ダッシュしながらトリシメジさんが呟いた。
「今じゃないですかねマッシュ……」
マッシュルームさんがそれに応える。
「そうシメジか……」
玄関の扉を入ると、ホールには受付と階段がある。
だが、受付のカウンターの中は無人で誰もいない。
トリシメジさんが玄関の扉にストッパーを突っ込み、閉まらないようにして、扉の前に四角い箱を置いた。
それを目にしたリアムンさんが質問した。
「トリシメたん、それは何?」
「中継器です、建物内は電波が遮断されている可能性があるので、ベンガさんたちとの通信の確保のためです」
「なる~」
「リアムン隊長……やはり聞いてなかったシメジね」
「もちろん!」
ジッ――。
『ベンガです、聞こえますか』
別荘にいるベンガさんからの通信が、各自のヘッドセットに流れた。
ジッ――。
『一班オーブンです。感度良好です。玄関ホールにいます。カウンターの十二時方向、奥にエレベータ、三時方向に階段」
オーブン警備隊長が応えた。
ジッ――。
『二班リアムンだよ。ちゃんと聞こえてるよベンたん』
続いてリアムンさんが応える。
『ベンたん……それやめてって言ったのに……。まあいいや、一班は階段から二階に上がり、全部屋を制圧してください。最上階だとは思いますが、どこに偽イブのサーバーがあるか分からないので。二班は一階を制圧後、エレベーターで三階へお願いします』
ジッ――。
『一班オーブン了解、階段を上がります』
一班が階段を駆け上がる。
ジッ――。
『二班リアムンらじゃ~』
カチャ。
「何か出てきマッシュ!」
玄関から十二時方向通路の奥の部屋の扉が開いた。
「隠れて!」
リアムンさんが指示し、階段に身を伏せた。
トリシメジさんと、マッシュルームさんは、カウンター内に飛び込んで身を隠す。
ドアから出てきたのは、二体の制服姿の男だ。
どう見ても警備員だが、ロボティックな動きで、まるでAIだと誇示しているように見える。
ピン――!
拳銃のようなものを構え、金属音のようなものを発してきた。
すでに侵入者の存在を知っているようだ。
ピン――!
ピン――!
ちょっとでも頭を出すと撃ってきそうだ。
「これでは動けないシメジ」
「マッシュ……」
「私が盾になるから、やっつけて」
「えっ、隊長が……シメジ」
リアムンさんは警備AIに背中を向けて、通路に飛び出した。
ピン――!
ピン――!
「二人とも、早く――!」
リアムンさんは背中にデジタル射撃を受けながら言った。
ARグラスは身体への当たり判定で三分停止中だ。
「マッシュさん、行くシメジ」
「了解マッシュ、右狙うマッシュ」
「了解シメジ」
二人はカウンターを飛び出して、リアムンさんの身体を盾にした。
カチャ。
カチャ。
マッシュルームさんと、トリシメジさんの射撃が命中し、二体の警備AIは、すぐに消滅した。
「あっ、当たっちゃったシメジ」
トリシメジさんは警備AIの射撃を一発肩に受けてしまっていた。
「回復するまで、カウンターに隠れていよう」
リアムンさんが指示し、三人は受付カウンターの中に身を隠した。
「トリシメタン、そういえば今日はキノンたんいないの?」
「マザーと繋がっていないから、XANAメタバース外のデータ保存領域が、もう限界シメジ」
「それってさあ、マザーとの接続が復活したときはどうなるの?」
「同期する時、もしかするとエラーになって、未接続期間のログデータ消えるかもって言われた。最悪リセットで初期状態に戻すしかない可能性もあるかもシメジ」
「うわっ、それは辛いね……」
「もう祈るしかないシメジ……」
「そうなの?! 俺もARグラスで秘書使えるならって思ったけど、それはヤバいマッシュ」
「うん、使わないことをおすすめするシメジ」
《二階への階段を上っているオーブン隊》
「なんか下は戦闘中みたいモネ、大丈夫かなモネ」
最後尾のモネさんが、階下の音を聞いてオーブン警備隊長に尋ねる。
「大丈夫だと思います。リアムン隊長、ああ見えて切れ者ですから」
「そうモネか……」
「そうなんですよモネさん、リアムンさんは、わざとあんなキャラ演じているだけなんです」
マコさんはオーブンさんに同意するように言った。
「みんな分かってるのモネね。騙されてるのはモネだけかモネ……」
《オブロ開発会社の第二研究棟最上階》
「チーフ、侵入者です」
網代の部下が監視モニターを見て気づいた。
「侵入者……ARグラスをかけているな……」
ホワイトハッカー網代が監視モニターを覗き込んだ。
「はい、でもチーフが予想されていた通りですね。さすがです」
「だが、予想よりかなり早いぞ……天風がXANAのギルドと連携を取る可能性はあったが……」
「FPSプレイヤーの上位ランカーへ予告は既に出してありますが、送り出しますか?」
「そうだな、準備期間がないから、どれほど集まるか不安だが……報酬を増やすか」
「一万ゼータでなく、五万ゼータにしますか?」
「いや、十万ゼータにしよう。侵入者一人討伐につきだ」
「一人につきですか? 今、六名いますから六十万ゼータになりますが、いいですか?」
「どうせリアルデビルズ社が出すんだ、阻止するための経費は惜しまないだろう」
「分かりました。FPSワールドから転送設定をして、上位ランカーに通知を出します」
《オブロ地下第四階層》
「天風さん、聞きたいことがあります」
俺は、いくつかの疑問を持っていたので、天風にぶつけてみた。
「なぜ、ジライさんのアカウントを使っているんですか?」
「一つはリアルデビルズ社という会社の利益に反することをしているので、監視されているためです」
「今、ジライさんはどうしているのですか?」
「弟は吃音のせいでイジメにあって、緘黙(かんもく)という疾患も持っているので、実家にいたのですが……今は私の隠れ家にいます。二人とも監視されている可能性があるので」
「えっ、吃音、疾患? そんな感じはなかったですけど」
「対面で人と話すことが苦手なだけで、知能は普通なので、チャットなどの会話は問題ありません。メタバース上での会話には、私が開発したAIで吃音も自動修正していますし」
「なるほど……」
「もともと、私がマザーAIの開発を始めたのもそれがきっかけなんです」
「そうだったのですか……」
そうか……そのおかげで妹のミサも救われたということか……。
「マスター」
カエデが全員を止め、通りを渡った先にある、四階層ボス部屋の扉を指差した。
その扉は開け放たれたままになっていた。
「ボス部屋の入り口を入る時に、一瞬だけ八時方向の黒ペンギンの視界に入るときがあるんや。うちが向こうから合図するさかい、一人ずつダッシュしとぉくれやす」
「分かったカエデ、頼む」
「私は、ステルス状態になれるので先に行っています」
天風はそう言って、ステルスになって見えなくなった。
「では、順番を決める。最初はレベッカちゃん、アヒル隊長抱えたままだけど、ダッシュできる?」
「はい、スタミナは充分ありますので問題ありません」
「了解。次はサクラちゃん、マミ、忠臣君、俺の順番で行く」
「はい、よいたろうさん」
サクラが返事をした。
「殿、そこは拙者を最後にしていただきたいでござる」
「分かった、じゃあ俺が先に行く」
カエデの合図で、それぞれ順番にボス部屋に飛び込む。
ボス部屋の広間には何もなく、出口も開け放たれていた。
――パパラパッパパー。
ボス部屋クリアのファンファーレが鳴り響き、レベルが上がった。
「うわ、凄い! うち、レベル五十超えたで、マスター」
「殿、拙者もレベル五十超えたでござる」
「四階層全クリア分と五階層のモンスター攻略分の経験値の十倍入っているはずです。おそらく現在のレベルキャップの五十五まで上がっているはずです」
ステルスを解除した天風が現れて、解説した。
俺も確認してみると、レベル五十五まで上がっている。
五階層のモンスターが赤ペンギンに倒されたことで、クリアしていることになっているのか……。
これで五階層のボス攻略が、やりやすくなったはずだ。
盾役のヒメミがいないので、前衛が心配だったが、バードの強化スキルで凌げるかもしれない。
「では、ボス部屋の入り口まで案内します。ついてきてください」
天風に先導されて全員がついていく。
途中で、ジライさんのAI秘書イズミ、キョウカがやってきた。
「イズミ、アヒル隊長をモンスター配置のない部屋に案内してくれ」
「はいマスター。では、レベッカさん、こちらへ」
「ちょっと待ってください。ボスを倒してオブロがリセットされた場合、そこは安全なんですか?」
アヒル隊長もだが、残してきたヒメミとアヒル隊のAI秘書のことが気になる。
「再構築でトライアルの状態は終わりますので、本来の仕様では、現在いる階層のスタート地点へのリスポーンとなるはずなのですが……」
そうか、本来の設定通りにいくとは限らないか……。
「仕様通りにはいかない?」
「偽イブの侵入でいろいろバグってますので、実際にどうなるかは分かりません」
「そうですよね……」
「それと、オブロが再構築されても、イブの計算では、この偽イブの拠点は四階層にそのまま残るとされています。そこにいるAIたちも、そのままの可能性が高いです」
「では、五階層のボス部屋にいたほうが安全ではないですか?」
「アヒル隊長は活動限界状態ですが……ボス部屋で守り切れますか?」
確かにそうか……。
「HP失ってリスポーンした場合に、バスターペンギンに襲われる危険があるか……」
「はい。それに最終ボスは範囲攻撃使ってきますので、動けないメンバーを守るのは難しいです」
範囲攻撃……それは守り切れる自信がないな。
やはり五階層の安全な場所にいてもらって、攻略後の再構築でリスポーンしてもらうほうがリスクは少ないか。
「再構築された後に、AI秘書たちとリスポーンするほうがリスクは低いということですね」
「はい。そう思います」
「それと、最終ボスを倒して、オブロの管理権を取得したらどうなりますか?」
「マニュアル通りであれば、ボスを倒したパーティーは、ボス部屋に自由に出入りできます。プレイヤーはステルスを獲得し、オブロ内を自由に移動できます。モンスターの配置と出現条件も、ある程度の設定ができます」
「迷宮の作りは自由には変えられないのですか?」
「はい。迷宮のマップはランダム生成で、管理者になってもそれは編集はできません。私はイブの管理権も持っているのでプログラムを書き換えることはできますが、その時間はないので」
「分かりました。では、アヒル隊長たちはお任せします」
「はい。じゃあイズミ、頼む」
天風はジライのAI秘書に命じた。
「はい。マスター」
イズミは移動先について、レベッカたちに説明をする。
「分かりました。ついていきます。よいたろうさん、サクラをそちらにお付けしたほうがいいでしょうか?」
レベッカが、アヒル隊の射手サクラをパーティーに入れることを提案してきた。
「いや、リスポーンが安全な場所ではないかもしれないから、アヒル隊長の護衛は多いほうがいい」
「分かりました。ありがとうございます。ではご武運を!」
レベッカが別れを告げる。
「忠臣君さん、カエデさんも、ご武運をお祈りします」
サクラも続いて別れを告げる。
「任せといとぉくれやす。マスターには、うちがおるさかいいけるで」
カエデは凄い自信たっぷりに言う。
「きっとまたお会いできるでござる」
アヒル隊と別れ、いくつかの通路と部屋を通り、地下第五階層のボス部屋の前に到着した。
「私は赤ペンギンの侵入を阻止します。管理者なので、ボスにはダメージを与えられないので」
「天風さん、一つ心配なことがあります」
「なんでしょう?」
「俺も活動限界で寝てしまう可能性がありますよね」
「プロフィールを開いて、ログイン時間を確認してくれませんか」
「ログイン時間ですか……」
プロフィールを意識すると、画面が開く。
ログイン時間……ん? たったの四時間? どういうことだ、もう三日は経っているはずだぞ。
「どうですか?」
「四時間になっていますけど……短すぎるのでバグっているのかも」
「えっと、ここで睡眠するとリセットされるようです。ログアウトできないのでバグってます」
「そういうことですか……」
「四時間ということは、実際には八時間活動していると思います」
「えっ、八時間?」
「はい、クローンイブの、いや、偽イブの侵入後、オブロ内経過時間が半分で表示されます」
「半分――! じゃあ三日じゃなくて……」
「はい、六日は経過しています」
「六日! そんなに……」
まじか、飲まず食わずだったら死んでる……もう筋肉衰えて立てなくなってるかも。
「おそらく、よいたろうさんの活動限界までは、ここの時間で四時間はあるはずです」
「四時間ですか」
「疲労度にもよりますので正確ではありませんが、脳の活動が落ちてくると安全のため、VRゴーグルのシャットダウン機能が働きます」
俺、十二時間寝てたことがあったが……。
それって二十四時間ってことかよ。
「わかりました。四時間あれば大丈夫でしょう」
「はい。時間的にはたぶん。ただし、ボスのレベルは七十で子分も出ます。モンスター部分の設計には関わっていないので、詳細は私にも分かりませんが……油断は禁物です」
「了解です。あと一つだけ、赤ペンギンは誰が操っているんですか?」
「網代という有名なホワイトハッカーです」
「網代……オブロの社員ですか?」
「今はたぶん。しかし、ただの雇われホワイトハッカーです」
「ホワイトハッカーなんですか……正義のハッカーってことですよね」
「業界ではホワイトキングとも言われていますが、依頼主にとってホワイトなだけで、金でなんでも引き受ける奴です。正義とは言えませんね」
「そいつが赤ペンギンの主ってことですか」
「はい。私の味方の元部下と連絡を取っていますので、間違いありません」
「えっ、外部と連絡取れるんですか?」
「はい、元部下にイブのアクセス権を与えているので、イブを通して通信できます。ただし、向こうから連絡が来た場合だけです。私もジライとして、ここからログアウトできなくなっているので」
「えっ、天風さんもログアウトできないんですか……?」
「はい」
「そうなんですね……」
天風って本当は真面目な人なんだな、少し勘違いしてたな、俺は……。
敵意を抱くべきは、リアルデビルズ社と網代って奴か。
「そろそろ赤ペンギンがリスポーンする時間です。ボス攻略をお願いします。奴ら、この扉をロックしても開けられますので」
「分かりました。できるだけ早く片付けます! 行くぞ! カエデ、マミ、忠臣君!」
(著作:Jiraiya/ 編集:オーブ)